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東京高等裁判所 昭和59年(ネ)2660号 判決

昭和五九年(ネ)第二六六〇号事件控訴人、同年(ネ)第二八九〇号事件被控訴人(以下「控訴人」という。) 原田竜述

右訴訟代理人弁護士 三枝信義

亡安岡長左ヱ門訴訟承継人昭和五九年(ネ)第二六六〇号事件被控訴人、同年(ネ)第二九〇号事件控訴人(以下「被控訴人」という。) 安岡信一

右訴訟代理人弁護士 横溝徹

同 横溝正子

主文

一  原判決主文第一項を取り消す。

被控訴人の不動産売買予約不存在確認請求を棄却する。

二  控訴人のその余の控訴を棄却する。

三  被控訴人の控訴を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審を通じこれを四分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一  昭和五九年(ネ)第二六六〇号事件につき

1  控訴人

原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

控訴棄却

二  昭和五九年(ネ)第二八九〇号事件につき

1  被控訴人

原判決中被控訴人敗訴の部分を取り消す。

控訴人は、被控訴人に対し、原判決添付物件目録記載の建物を明け渡し、かつ、昭和五七年四月一〇日から右明渡ずみまで一か月金三五万一〇〇〇円の割合による金員を支え。

訴訟費用は、第一、二審とも控訴人の負担とする。

2  控訴人

控訴棄却

第二当事者の主張

次に付加、訂正するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一  原審の原告であった安岡長左ヱ門(以下「亡長左ヱ門」という。)は昭和五六年一月二九日に死亡し、被控訴人が相続により同人の権利義務を承継した。

二  原判決四枚目裏四行目の「川崎支部」の前に「横浜地方裁判所」を、同五枚目表末行の「別個の」の前に「前記の訴外上原哲四郎から」を、同六枚目表末行の「川崎」の前に「横浜地方裁判所」を、同八枚目表八行目の「昭和」の前に「横浜地方裁判所川崎支部」をそれぞれ加える。

三  同九枚目表五行目の次に行を改めて「(7) 従来板張りの作業場であった二階を畳敷きの和室に改造し、採光通風のため壁に窓を新設して、建物を居住用のものとした。」を、同八行目の「であった。」の次に「右工事の結果、本件建物の固定資産税評価額は一挙に一・五倍に増え、被控訴人は従来より高額の固定資産税を支払わざるを得なくなった。」をそれぞれ加え、同裏一行目の「原告側」を「被控訴人」に、同一〇枚目裏末行の「右撤去工事立替金」を「前記の取壊工事立替金」に、同一一枚目裏末行の「解除権」を「解除」にそれぞれ改める。

四  同一二枚目裏五行目の「経営してきたが、」の次に「これらの改装については、当該部分の将来の必要な工事をも含めて、亡長左ヱ門が同意していたものであり、その後に控訴人が右改装部分につき再三手入れをしたことに対しても亡長左ヱ門からは何ら異議がなかったものである。そして、」を加え、同六行目の「右の趣旨」を「その内容、程度は次のとおりであって、従来許容されていた範囲」に改める。

第三証拠関係《省略》

理由

一  控訴人が請求原因(一)記載のとおり亡長左ヱ門から本件建物を賃借していたが、昭和四六年七月七日に同建物及びその敷地賃借権につき亡長左ヱ門との間において請求原因(二)記載のとおりの売買予約を締結し、予約成立証拠金として三〇〇万円を支払ったこと、亡長左ヱ門が、右敷地賃借権の譲渡について許可を求めるため、同年八月地主である深瀬及び上原を相手方として請求原因(三)記載のとおり借地非訟事件の申立をしたが、相手方の強い抗争に遭い、手続が進行しなかったこと(弁論の全趣旨によれば、右手続は現在もなお事実上中止状態であることが認められる。)、その間、請求原因(四)記載のとおり、昭和四七年一一月に地主深瀬が亡長左ヱ門に対し深瀬所有の敷地部分の賃貸借契約の解除を主張して右敷地部分の明渡請求訴訟を提起し、控訴、上告を経て昭和五一年九月一〇日深瀬の敗訴が確定したこと、次いで、昭和五四年三月に至り、請求原因(六)記載のとおり、地主上原が亡長左ヱ門及び控訴人を相手方として上原所有の敷地部分の明渡を求める調停を申し立て、これが不調となるや、昭和五五年二月に同様の明渡請求訴訟を提起したこと(弁論の全趣旨によれば、右訴訟は第一、二審とも上原が敗訴し、目下最高裁判所に上告中であることが認められる。)。昭和五五年一〇月二九日亡長左ヱ門が控訴人に対し、同月三〇日到達の内容証明郵便をもって、事情の変更により本件売買予約を解除する旨及び本件建物の賃料を同年一一月一日以降一か月五〇万円に増額する旨の意思表示をしたこと、昭和五七年四月初めころ控訴人が本件建物につき工事を行ったところ、被控訴人から控訴人に対し、同月一〇日到達の内容証明郵便をもって、同建物の賃貸借契約を解除する旨の意思表示がなされたこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、また、弁論の全趣旨によれば、亡長左ヱ門は昭和五六年一月二九日に死亡し、被控訴人が相続により同人の権利義務を承継したことが認められる。

二  被控訴人の本件建物明渡請求及び損害金請求について

1  右一の事実と《証拠省略》によると、次の事実を認めることができる。

(一)  本件建物は元は映画館であり、これを控訴人がパチンコ店の店舗として使用するために亡長左ヱ門から借り受けたものであって、右借受けに当たりパチンコ店営業に必要な改装を行うことは亡長左ヱ門も了承していた。そこで、控訴人は、昭和四一年に、内部が空洞状態であった同建物の床に柱を立て、適当な高さの仮設天井を作り、パチンコ機械を設置するための間仕切りをし、床を板張りにするなどの内部工事を行った上で、パチンコ店営業を開始した。

(二)  その後昭和四六年の契約更新の際に亡長左ヱ門の求めにより控訴人が本件建物を買い受ける旨の本件売買予約が締結され、昭和四八年秋ころ控訴人が同建物を改装することにしたが、これに対して、亡長左ヱ門は、売買予約ずみであるから自由に工事をしてもよいとの態度であつたので、控訴人は、約二〇〇〇万円の費用で、従来の仮設天井の代わりに鉄骨の梁をわたして二階を作り、一階の床と天井の間の柱を木柱から鉄柱に代え、また、二階にも床を張って物置にし、その採光のために建物の外壁を一部くり抜いて窓を一つ作った。この改装について亡長左ヱ門は何も異議を述べなかった。

(三)  その後も亡長左ヱ門と控訴人との間には格別の紛争もなく年月が経過したが、昭和五五年一〇月に至り、亡長左ヱ門は控訴人に対して、本件売買予約を解除し、本件建物の賃料を一か月五〇万円に増額する旨の意思表示をし、同年一一月右売買予約不存在確認及び増額賃料の確認を求める本件訴訟を原審に提起した(右訴提起の事実は記録上明らかである。)。

(四)  右訴訟係属後である昭和五七年三月ころ、控訴人が本件建物の改装を計画したところ、被控訴人の代理人弁護士から内容証明郵便により改装工事の差止めを求められたが、控訴人としては、同建物の売買予約は依然有効であり、かつ、パチンコ店営業に必要な改装は従前より許されているとの考えから、同年四月初めころ改装工事(以下「本件工事」という。)に着手し、右工事中に被控訴人が現場に来て抗議したのも無視した。本件工事の内容は、建物の床板を張り替え、内部の間仕切りを新たなものと交換し、内壁の一部をクロス張りにし、便所の内部の仕切りを取り払って整備し、屋根が雨漏りするのでこれを張り替えたほか(右雨漏りについてはかねて控訴人から被控訴人に対して修繕方を申し入れていたが、応答がなかったものである。)、従来物置にしていた二階の一部をパチンコ店従業員の部屋にするため仕切りを施して四・五畳ないし六畳くらいの畳敷きの和室にし、その部屋の採光通風のために建物の外壁を一部くり抜いて二か所に窓を作ったものであり、その費用は一〇〇〇万円余りであった。

以上の各事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

2  右認定の事実によれば、控訴人が被控訴人の反対を無視して本件工事を行った点は非難を免れないけれども、床及び間仕切工事は過去に控訴人が亡長左ヱ門の承諾の下に設置したものの更新であり、便所の整備及び屋根の雨漏防止は有益必要なものと認められ、また、二階の一部の居室化及び窓の設置も、建物の本来の用途に変更を来したり建物の価値効用を著しく毀損するものとまではいえず、本件工事全体としてパチンコ店営業の目的の範囲を明らかに逸脱しているとは断定しがたい反面、本件建物の元々の構造等に照らせば、本件工事により同建物の原状回復がそれ以前に比して特に困難になったものとも認められない。これに加え、昭和四一年及び昭和四八年の工事の経緯及び程度が前示のとおりであること、並びに本件工事は亡長左ヱ門が本件売買予約の解除を主張して本訴を提起した後のことであるとはいえ、右解除が認めがたいものであることは後記四判示のとおりであって、控訴人が右売買予約を依然有効と信じて本件工事を行ったのもあまり強く非難できないことなどを合わせ考えると、本件工事が賃貸人である被控訴人に対する関係において契約解除に値するほど背信性の強い違反行為であったと認めることは相当でないというべきである。

《証拠省略》によると、本件建物の固定資産税課税台帳に登録されている評価額は、昭和五八年度までは二一五万四五二〇円であったところ、本件工事による二階の一部居室化に伴い二階増築部分の評価額が増え、昭和五九年度の評価額が三五一万一五一九円となったことが認められるが、この事実のみによっては未だ右の認定判断を覆すことはできず、他に被控訴人主張の本件建物賃貸借契約の解除原因を肯認するに足りる証拠はない。

したがって、被控訴人のした右賃貸借契約の解除の意思表示は効力を生じるに由なく、右契約解除を前提とする被控訴人の本件建物の明渡請求及び損害金請求は理由がない。

三  被控訴人の売買予約不存在確認請求について

1  昭和四六年七月に本件売買予約が成立し、同年八月に亡長左ヱ門が借地権譲渡許可を求める借地非訟事件の申立をしたが、地主である深瀬及び上原の抗争に遭い、深瀬から提起された明渡請求訴訟は亡長左ヱ門の勝訴が確定したものの、上原から提起された明渡請求訴訟はなお係属中であり、右借地非訟事件の手続は現在まで事実上中止状態にあることは、前示のとおりである。そして、昭和四六年から亡長左ヱ門が事情変更による本件売買予約解除の意思表示をした昭和五五年一〇月までの間にいわゆる石油ショックの影響等により川崎市内を含む都市部の不動産、特に土地の価格が騰貴したことは、公知の事実である。

2  被控訴人は、これらの諸事情から本件売買予約についてはいわゆる事情の変更による契約解除権が発生したと主張する。

確かに、《証拠省略》によると、亡長左ヱ門及び控訴人は、本件売買予約に当たり、二、三か月から六か月程度で借地権譲渡の許可を受けられるものと考えており、右予約後九年を経ても解決しないという事態は予想外であったと認められる。しかし、他方、《証拠省略》によれば、本件建物の敷地の賃貸借に関しては、右売買予約が行われる以前から地主である深瀬及び上原と借地人である亡長左ヱ門との間で種々の紛争があり、地主が右敷地の明渡を得たい意向であったことが明らかであり、かかる状況下で亡長左ヱ門が控訴人に対して借地権を譲渡しても、地主がこれを承諾せず、借地非訟事件手続は難航し、地主側から借地権の存否に関して訴訟が提起される可能性もあることは当然予見されるところであり(《証拠省略》によると、本件売買予約の際は亡長左ヱ門側に弁護士がついていたことが認められる。)、そうなれば当該訴訟の終了するまで借地非訟事件の手続が中止される場合のあることも借地非訟事件手続規則一二条の定めるところである。前掲甲第一号証の本件売買予約の契約書によれば、借地権譲渡の許可を受けられないことが確定したときは右予約は当然失効するものとされているのであり、右許可手続の結果が確定するのを待つことなく予約の効力を否定しなければ重大な不利益又は不都合を生じるおそれがあるなどの具体的事実を認めるべき証拠は何もない。

また、不動産価格の騰貴という事態も、前示の一般的社会情勢だけで直ちに本件予約の効力を否定することが信義衡平の観念上要求されるものとは認められないのみならず、もし仮に右価格の騰貴の結果予約に係る代金額が看過できないほど均衡を失するに至ったのであれば、それに応じて代金額を合理的に修正することがまず検討されるべきであり(本件において右検討が無意味であると認めるべき資料はない。)、これを経ずしてたやすく予約の解除を認めることは当事者間の衡平を保つ所以ではない。

これを要するに、被控訴人の指摘する諸事情を考慮しても、本件売買予約につき当事者が予見することができなかったほどの顕著な事情の変更が生じ、このために右予約の効力を維持することが著しく信義衡平の観念に反する結果になるものとは到底認めることができないというべきである。

したがって、本件売買予約につきいわゆる事情変更の原則による契約の解除を認めることはできず、右解除を前提とする被控訴人の売買予約不存在確認請求は理由がない。

四  被控訴人の賃料増額請求について

右請求については、当裁判所も、これを認容すべきものであると判断する。その理由は、原判決がその理由欄四項(原判決一七枚目表八行目から同裏三行目まで)において説示するところと同一であるから、これを引用する。

五  以上によると、被控訴人の本件請求のうち、増額賃料の確認を求める請求は正当として認容すべきであるが、その余の請求(本件建物明渡請求、損害金請求及び本件売買予約不存在確認請求)はいずれも失当として棄却すべきである。

よって、右と趣旨を一部異にする原判決は不当であり、控訴人の本件控訴は一部理由があるから、原判決中被控訴人の本件売買予約不存在確認請求を認容した部分を取り消して同請求を棄却し、その余の控訴人の控訴を棄却し、また、被控訴人の本件控訴はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村岡二郎 裁判官 佐藤繁 鈴木敏之)

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